女子体操・オクサナ・チュソビチナ選手。46歳で東京オリンピック出場、そして引退。数々のメダルを手に入れ、選手として、すでに十分すぎるほどの実績を手に入れたチュソビチナ選手がなぜ、国籍を変えても現役であることを選んだのか?体操をつづけた本当の理由が泣ける。

紆余曲折の中、無観客で行われた今回の東京オリンピック。

ここで一人、ひっそりと現役に分かれを告げる、一人のレジェンドがいました。

その選手の名前は、オクサナ・チュソビチナ

本名:オクサナ・アレクサンドロブナ・チュソビチナ(Oksana Aleksandrovna Chusovitina)

46歳⁉ 
凛々しいという言葉がぴったりの、
まさにレジェンドですね。

まずは、有名になったた、若いころの演技から。

1991年の チュソビチナ選手。
跳馬のイメージの同選手ですが、床運動の演技。

1990年に、旧ソビエト連邦のナショナルチーム入り、1991年世界体操競技選手権(インディアナポリス)で金メダルを獲得し、ソビエト連邦の崩壊後に、独立国家共同体(EUN)として出場したバルセロナ五輪でも団体のメンバーとして金メダルを獲得しました。

1992年の チュソビチナ選手。
あどけなくてかわいいですね。
今回は平均台。

また、結婚・出産後も、アキレスけん断裂の大怪我を乗り越えて、2003年世界体操競技選手権(アナハイム)でも、跳馬で金メダルを獲得した、女子体操界で知らない人はいない有名な選手です。

もう、かっこいいの一言ですね。


さて、通常、ここまで活躍された選手ですから、本人がよほど体操を続けたいわけでないのなら、ここまで現役を続けることはなかったのではという疑問がありますよね。

もちろん、いくつになっても続けられることは、*Uran*は大賛成です。他人が選手の引退時期を決めるものではないというのが*Uran*の考え方ですので。

しかし、 チュソビチナ選手には、続けざるを得ない理由がありました。

1999年に誕生した息子さんのアリーシャくんが、2002年にが白血病を発病してしまったのです。

チュソビチナ選手には、選手としての十分な実績がありましたので、政府から年金が支給されておりましたが、それだけでは息子さんの白血病の治療費が足りなかったのです。

アキレスけん断裂の大怪我を負っていたチュソビチナ選手が選んだのは、「跳馬」1本に絞って選手としての生活を続けることでした。

当時まだ白血病の患っていた息子さんと
チュソビチナ選手。

1992年に旧ソ連合同チームの一員として、バルセロナ五輪体操の女子団体総合で金メダルを獲得し、1996年、2000年、2004年のオリンピックはウズベキスタン代表で出場したチュソビチナ選手は、この後、息子によりよい治療を受けさすためにドイツに移り、ドイツ国籍を取得しましたが、それについては当時賛否両論の嵐だったと言います。特に祖国のウズベキスタンからは、裏切り者扱いをされたそうです。

しかしながら、チュソビチナ選手がここまで頑張れた原動力は、勝ってより多くの報奨金を手にし、白血病を発症した一人息子の治療をするためだったのです。

世界レベルと一般人、比べるのもおこがましいですが、*Uran*も母親です、チュソビチナ選手のお気持ち、痛いくらいわかるつもりです。

そして、2008年の北京オリンピックでは、跳馬で銀メダルを獲得した33歳の「ママさん選手」チュソビチナ選手に、元中国男子体操界のエース、(開会式で聖火を点火しました。)あの、李寧氏から、李寧基金会を代表して、2万ユーロが送られました。

きっと、李寧氏も、 チュソビチナ選手を応援したいという気持ちがあったのでしょうね。

李寧氏 、
少しふっくらしたような気もしますが、
お元気そうで嬉しいです。
李寧氏の体操は凄く美しくて大好きでした。

北京五輪のチュソビチナ選手、
選手の表情から、競技終了後、
一瞬母親の表情になっている様な気がします。

また、「跳馬」に絞ってとは言うものの、2003年以降も時々は平均台とかも競技はされていたようですが、やはり、何か気品だけでなく、気迫を感じる演技が多かったように思います。国籍を変えてまで競技を続ける・・・計り知れないプレッシャーと息子さんの治療費を何とかしたい!母の愛情からなのでしょうね。

本当に選手としてだけでなく、人としても凄い方だと思います。


ここで、息子さんに嬉しい出来事が起こりました。

息子のアリーシャくんが白血病を克服したのです。

息子さんを救ってくれたお礼と言う訳ではないのでしょうけれど、 チュソビチナ選手はプレッシャーの中、ドイツに銀メダルをもたらし、ロンドン五輪にもドイツ代表として出場しました。

そんな チュソビチナ選手の頑張りを神様は見放しませんでした。

一度は裏切り者扱いをされた祖国ウズベキスタンからオファーされ、 チュソビチナ選手は、再びウズベキスタン代表としてリオ五輪に出場することになったのです。

リオ・オリンピックの チュソビチナ選手はの映像は、↓

2016年、
41歳のチュソビチナ選手ですが、
とてもじゃないですけど41歳って信じられませんね。

チュソビチナ選手は、国籍を変えることはあっても、「跳馬」を中心に競技生活を続けた選手と言えます。

実に、ロンドン・リオとオリンピックだけでも7回の出場を果たしました。

そして、1年延期後の46歳で迎えた東京オリンピック。

コロナ禍で無観客でありながらも、その存在感は際立っていたようですね。

2021年7月25日に行われた体操女子の予選。

体操では史上最多8度目の出場を果たした46歳のチュソビチナ選手が、現役引退を表明しました。

予選の演技後には、自国の選手だけでなく他国の選手やスタッフ、メディア関係者も立ち上がって送別の拍手を送り、無観客だった有明体操競技場がチュソビチナ選手を中心に温かい空気に包まれたそうです。

異なる二つの技をこなす種目別の跳馬。

1回目には自身の名のつく大技「チュソビチナ」に成功。

コロナ禍でなければ…
だけど他国の選手にも慕われていたのがよく分かります。

上位8人による決勝進出ラインに0.45点届かず、14位ではありましたが、それでも14.166点をマークしました。


胸の部分に出場回数の「8」がデザインされたレオタード姿で、すべてをやり遂げたというように涙を浮かべながら、無観客ではありながらも関係者からの鳴りやまない拍手に両手を振って応えていました。

願わくば、コロナ禍がなければ・・・ チュソビチナ選手には、満員の競技場で、観客からの割れんばかりの拍手の中で演技をして、現役を引退して欲しかったのは*Uran*だけではないと思います。

チュソビチナ選手、長い現役生活、お疲れさまでした。

息子さんと仲良く幸せに暮らしてくださいね。

(もちろん、また、体操をやりたいという事なら、現役復帰も大歓迎です!)

長い現役生活

本当にお疲れさまでした。

何よりも、
勇気をありがとうございました。



カウンセラー:Uran.

カウンセラー Uran. (ブロガー同一人物ですが、あえてカウンセラーとして) 心理学が得意、カウンセリング、お話相手など、これまでの人生経験と生かして活動させていただいております。 また、このサイトではブロガーとして記事も投稿しております。 何卒、よろしくお願い申し上げます。

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