人生って何だろうなって、考えてしまうことがあります。良い時、悪い時、いろいろあったけれど、それがあったからこそ、今の私があるのかな・・・(その2・30代から現在まで)

さて…どうしよう。

こんばんは。日々熱くなってきましたね。

前回は、30歳までの私の状況について書かせていただきました。

そういえば・・・今日は七夕ですね。織姫様と彦星様、無事に会えたのでしょうか。

無事にお会いできているといいですね。

では、今日は前回の続きから書いていきたいと思います。

(その1・10代から30歳前まで)はコチラです。

結婚して子供も授かり、産後2か月少々で職場復帰をした私ではありましたが、そのころから少々違和感を感じることがありました。

はじめはその違和感の正体が分からず、気のせいか単なる産後のホルモンバランスの乱れのせいだと思っていた(思おうとしていた)のですが・・・。

しかしながら、よく考えてみると、出産直前に、いくら夫に頼んでも、ベビーベッドの組み立てすらせず、結局、私は出産3日前に大きなおなかを抱えた状態で一人でベビーベッドを組み立てるという至難の業をやってのけるハメになったのですが、この時点で気づいていれば、この先の苦労はなかったかの知れません。

夫も夫の家族も、女は家庭を守って当たり前、男児厨房に入るべからずを地で行っていた家庭出身でした。

しかしながら、夫と同程度の収入があり、しかも正社員の立場だった私は、自分の勤めていた会社の社宅に入居していたこともあり、仕事を辞めることなく働いていたのですが、結局、夫の家族もそれが気に入らなかったらしく、また、夫自身も自分の嫁が同程度稼いでいることが気に食わなかったのか、夫が家庭のことや子供のことを親身になって考えてくれた記憶が今となってはほとんどありません。

例えるなら、
このころの私は操り人形
だったのでしょうか。

それどころか、子供が生まれてからしばらくして、夫は、収入をほぼ自身の下品な趣味につぎ込み、夫の両親はそれをとがめることも一切せず、その上、夫は、半ば強引に勤めていた会社を退職し、何と大学院に進学してしまったのです!

それでも、大学院に通っていた頃はまだ、県外の夫の宿泊先へ子供と一緒に訪ねていくと、多少は父親らしく、子供をかわいがってはくれました。

しかし、3年大学院へ通ってまた私たちと同居するようになると、夫が荷物とともに引き上げてきたものは大量の夫の下品な趣味のものだらけで、勉強してきた形成はあまり見当たりませんでした。

それでも夫は資格試験のための教材費やらなにやらと、私に平気で数十万円単位のお金を出すように命令に近い口調で言ってくるようになりました。

これが今となっては災いしたのかもしれませんが、私は当時、女性としてはかなりの高給取りの部類にいたため、ケンカになるよりは黙って出しておいた方がいいかもと思い、言われるがまま、お金を出していました。

働いて得た収入も、
ほぼ6割は夫が使っており、
当時は、私と子供は
残りの4割で生活していましたね。

今思えば、それでも十分生活できる収入が私にあったこと、それが夫は面白くなかったのかの知れませんね。


このころから、私は会社で得た為替の知識を生かして、外国為替取引(現在のFX)で、副収入を得るようになるのですが、年間で20万円以上の収入になると確定申告が必要となるため、税務署への申告をしなくて済むように、わざと20万円以下に収入を抑えていました。

一方、夫ですが、なぜが急に子供の教育に口を出すようになり、小学生になった子供を半ば強引に塾へ連れていくようになり、その高価な塾代は当たり前のように私が出すようになり、夫の下品な趣味にかかる費用も私が支払っているのが当たり前となってきたのです。

また、私が住んでいた会社の社宅は集合住宅だったため、周囲の住人の生活音や子供のいるご家庭では、足音の一つでもするものですが、それが気に入らないと言っては、壁や天井、時には私に向かってものを投げつけてくることも多くなってきました。

また、少しでも周囲の住人の生活音が聞こえたら、私に向かって「苦情を言ってこい!」と命令するようになり、八つ当たりをしてくるのが当然のようになってきたのです。

会社では仕事がありますので、普段と変わらないように仕事をしていたつもりでしたが、(結果、過剰なストレスで卒倒したのですが、)後になって、他の社員の方が、「今思えば、*Uran*は時々様子がおかしいと思ったことがあった。」と言っていたそうですので、相当なストレスだったのだと思います。

また、私だけならばともかく、子供に対しても、塾のテストの成績があまりよくないと、子供にもきつく当たるようになり、(私は離婚成立後に聞いたのですが)よく、手も上げられていたということでした。

当時の私は、自身の仕事と、家に帰れば心も休まらず、夫からの自分に対する八つ当たりなどで、心が精一杯でしたが、今思えば、子供のことももう少し気を付けてあげれば見抜けたはずなのにと、本当に子どもに対して申し訳ない気持ちでいっぱいです。

最終的には、私の精神がこのような生活に耐え切れず、メニエール病・うつ病まがいの状況となり、ある日突然倒れてしまうまで、このような生活が7年(3年の大学院+卒業後一切働かず、4年間夫がヒモ状態だった期間)、続きました。


現在なら、十分DV・モラハラが成立すると思いますが、当時は、ものを投げつけられても避けていたこともあり、壁や天井に穴は開いても輪t氏は怪我をしていなかったこと、モラハラという言葉自体、まだ一般的でなかったこともあり、結局、夫は働いていなかったこともあり、財産分与で夫がほぼ使い込んだ残りの給料から貯めていたお金を守るためだけに、慰謝料も養育費もなしで離婚することとなりました。

夫側からは、先方の親もそろって子供の親権を主張してきましたが、幸い、子供自身が夫に向かって、「自分にあなたのようなお父さんはいらないから!自分の親はお母さんだけ。」と言って、私についてきてくれたため、それ以上先方も何も言えなくなったようです。

それから1-2年余り、メニエール病やうつ病まがいの状況が続いたため、外に出られず、自宅でWEBライターなどをしながら、何とか、元夫にかくして貯めていたお金で子供と生活をしておりました。

また、離婚成立後、3年位してやっと、派遣社員を得て、今務めている会社の別部署に就職をするも、体調がすぐれず、一度退職、それから2年ほど経過して、ようやく今務めている会社の現在の部署へ、契約社員を得てから正社員として勤めることが出来るようになり、今に至っています。

決して裕福ではありませんが、
今は自由にのびのびと暮らしております。

離婚当時小学生だった子供も、今や21歳になり、無事に就職先も決まって、(時々ケンカもしますが)親子で幸せに暮らしております。

また、子供が私に言ってくれたことで、今でも一番うれしかった言葉があります。

「お母さんが誰と結婚していようとも、自分はお母さんを選んで産まれてきたのだから、もっといい男と結婚すべきだったね。」

「結婚しなかったら、あなたと会えなかった。」と子供に行ったときに、子供が私に言ってくれた言葉です。

今回の件で、現在、結婚していた当時の収入に比べて現在の収入は正直半分以下ですが、DVもモラハラも受けず、賃貸のアパートではありますが、家でストレスなくくつろげることがこんなに幸せであることに今更ながら感謝しております。


また、以前の会社のオーナー様ご一家をはじめ、関係者の方々には、本当に助けられました。

もし、私が倒れた時点で、「夫が原因ではないか。」と懸念をし、私の両親にいち早く離婚を勧めてくれた会社のオーナー様ご一家には大変感謝しております。それがあったからこそ、私は夫から子供を連れて無事に離婚をすることが出来たわけですから。

また、今回の件で、私は本当に、自分の見方である周囲の人がどれだけ私を大事に思っていてくれたかを知りました。

離婚から10年以上経過しますが、現在でも付き合いのある方や、それ以降に知り合った方など、私も周囲には今も様々な人がいる状態でございます。

自分の周囲に信頼できる人かいることが、どれだけ幸せなことであるかもよく分かりました。

自分が本当に大事にしないといけない人を間違うことのないよう、これからは生きていきたいと思っております。

普通に暮らせるなんでもない日常が、
実はすごく幸せなんですね。

現在、周囲の方々の温かい気持ちに助けていただき、自分でも何かできることはないかと調べて、メニエール病にいいと言われるサプリメント、L-Lysine を毎日摂取するようにしております。



上記、Amazonで購入しております。同様のお悩みをお持ちの方で、だいぶ良くなったけれど不安という方はL-Lysineを飲んでみるのもいいかの知れませんね。下記バナーをクリックAmazonへに飛ぶことが出来ます。

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カウンセラー:Uran.

カウンセラー Uran. (ブロガー同一人物ですが、あえてカウンセラーとして) 心理学が得意、カウンセリング、お話相手など、これまでの人生経験と生かして活動させていただいております。 また、このサイトではブロガーとして記事も投稿しております。 何卒、よろしくお願い申し上げます。

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