人生って何だろうなって、考えてしまうことがあります。様々な選択肢、良い時、悪い時、いろいろあった。悩んだし、焦ったし、泣いたりしたことも多々あった。それがあったからこそ、今の私があるのかな・・・(その1・10代から30歳前まで)
こんばんは。
今日は、*Uran*が時々ふと思うこと、書き綴ってみたいと思います。
人生って、不思議だと思いませんか?
1つの選択で、大きく未来が変わっている可能性があるんですよね。
もしあの時、違う選択をしていたら・・・
そんなことを考えたこと、ございませんでしょうか。
本日は、10代から30歳前までのお話です。
まず、*Uran*の学生時代の将来の夢は、「救命救急病院の看護師」でした。
現場の最前線で、医師と協力して一人でも多くの人の命を救えるような看護師になりたい!
本当にそう思っていました。
しかしながら、皮肉なことに、高校3年生の夏休み中に、自分自身が大事故に遭い、まさかの救命救急でお世話になることに・・・
通常でしたら、そこで、
「いつか自分もここの看護師さんのようになりたい!」
「恩返しもかねて、必ずこの現場で今度は助けるほうの側になりたい!」
そう思うものなのですが、なぜが急に自信が無くなってしまったのですね。
当然ながら、救命救急では、100%の患者様が助かるわけでもなく、中には手遅れ状態で運ばれてこられるような方もいるのです。
深夜の救急車のサイレンが鳴り響く音を聞きながら、医師や看護師さんたちの慌ただしい足音を聞きいているうちに、
亡くなった患者様がいても、次から次に命の危険に面している患者様が運び込まれてくるような現場、亡くなった患者様を見ながら、涙を見失せることもなく、冷静に次の患者様の手当をすることが、私には出来るだろうか・・・
いつしか、*Uran*の中には、このような気持ちが芽生えたのです。
看護師という仕事は、気持ちだけではできない、精神面・体力面の強さも必要で、そこに自信の持てない自分にはできない仕事なんだ・・・。
現在も、このコロナ禍の中で、医療従事者の方々は本当に大変だと思います。本当に、敬意を持つ次第でございます。
しかしながら、何らかの「プロフェッショナル」でありたい!という気持ちは変わりませんでした。
そこで、エステティックサロンに勤務し、何とか頑張って「ポールシェリー・ボディマッサージ Diploma」を獲得しましたが、折しもバブルははじけた後でエステ業界は不況の嵐、勤めていたサロンも閉鎖になり、自分自身が、業界に将来性を感じなくなったことで、1年でエステティシャンを引退しました。
(但し、腕がなまらないように、時々、今でもマッサージの練習はしております。)
そのような経緯もあり、私は結局、回り回って、22歳で、これも運よくといったほうが良いのですが、航空・運輸系の企業に入社出来、勤務をすることになりました。
その時はすでに、「自分に人の命を預かるような仕事はできない。」と思っていましたので、救命救急病院の看護師という職業自体、尊敬の気持ちはありましたし、ボディマッサージのDiploma持ちではありましたが、すでに気持ちは、入社した企業のOLとして、生きていこうと決めておりました。
もちろん、救命救急病院の看護師の夢をあきらめて就職しましたので、入社後は、必要と思える勉強は、会社から帰った後に率先してやっておりました。
日商簿記2級も、高校も普通科の出身で、まったくのド素人でしたが、株式会社に勤める以上、どこの部署でも必須の知識と思っておりましたので、株式会社の簿記である、「日商簿記2級」を出願後1か月、1日2時間の猛勉強で、ド素人から、3級を飛ばして一気に2級のダイレクト合格を果たしました。
(*この時の勉強方法をもっと無駄を省いた方法にて、電話相談にて伝授させていただいております。
電話相談後時に、メッセージにてのフォロー交渉可能です。
興味のある方は、日商簿記2級、独学受験する勉強方法伝授します へどうぞ。)
その他にも、英会話・スペイン語(リーディングのみ)・イタリア語(ヒアリングのみ、これは単に、NHKのTV番組、英会話講座に寝坊をしてしまい、目が覚めるとイタリア語基礎会話をやっていたため、寝ぼけ状態で耳だけで覚えたものですが^^;) も勉強していました。
また、通関士は、当時の上司が資格持ちだったので、相談させていただいたら、上司が試験受験時に使っていました参考書を譲っていただけたのですが、試験会場が県内でなく、また、当時、結婚して生まれたばかりの子供がいたこともあり、勉強のみで試験は断念(当時の上司の方、申し訳ございませんでした。)、IATA・FIATA DIPLOMA(日本語の資格名:「国際航空貨物取扱士」)も同様で試験会場が県内ではなかったので、勉強だけはしていた状態ですが、試験は状況のため断念した状況です。
そんなこんなで、勉強は学生時代よりもしていたかもしれません。
もしかすると、職業はOL(会社員)でも、何らかのプロフェッショナルでありたいと、心のどこかで思っていたのかもしれません。
ただ、このころは、これからの激動の兆しはありましたが、本当に充実した毎日でした。
本日はこのくらいにしておきますね。
(後日アップさせていただきます、その2に続きます、(その2・30代から現在まで)に続きます。